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古代の日本人はどうやって旅をしていたのでしょうか?アラビア語の表現も使いながら

こんにちは

アラビア語オンラインの羽橋ライラです。

先週からひきつつき、古代の日本の和歌について考えたりしていきます。

古代の日本の人々の暮らしを考えることで、あらたに日本の良いところを思い出すということ。

古代の日本の暮らしをアラビア語に移してそのリズムを楽しんだり、日本の文化を伝えたり。

そんなことが出来るようになったらいいなということをもりこんでしまっているシリーズです。

百人一首の和歌としてとりあげられている作品は、悠久の時を超えて語り継がれてきています。

博物館で昔の人々の暮らしにふれたり、美術館で素晴らしい芸術を鑑賞するのと同じぐらいそこから

感じられるものの見方というのは、いらないものをすべてそぎ落としたような美しさだったり。

時代を超えても変わらない感動をあらためて味わうことができるのです。

 

山部赤人さんについて

前回から引き続き登場するのは、奈良時代の有名な歌人で、「歌聖」と呼ばれている山部赤人さんです。

そんな山部赤人さんのお仕事は、今でいうところの公務員です。

お仕事としては、宮廷の下級の役人さんだったということですが、田子の浦やそのた日本の各地へ訪れて

和歌を作ることも仕事としていました。

天皇の旅にお供をしてその各地のすばらしさなどを和歌にするというお仕事は、広報のようなお仕事だったと

いえそうですね。

山部赤人さんの代表的な和歌

百人一首にのっているほかの、山部赤人さんの代表的な歌をみてみましょう。

春の野に すみれ摘みにと 来しわれぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける

春の野原にスミレを摘みにやってきた私は、その野辺の美しさに心惹かれて、ついうっかり一晩泊まってしまったことだ

 

奈良時代の旅の移動手段を考える

日本各地を旅をしながら各地の素晴らしさを歌にするというお仕事をしていた山部赤人さんですが、当時奈良時代の

移動手段というのはなんだったのでしょうか?

考えられるのは

・徒歩

・馬

・輿

・籠

・牛車

などです。

貴族階級の移動手段は、都のの中だったりするばあいは牛車などが考えられます。

そのほかには、険しい山道だったり、急いだりしているときの移動手段は馬などがはやかったと考えられます。

そのほか、景色をゆったりと鑑賞したりする際には、徒歩のように視界が全体的にひらける移動が好まれたのかもしれません。

 

和歌から想像するその時の移動手段

こちらの、すみれを摘みに来ておもわずその風景に感動し、すみれの咲く野で一夜を明かしたとあります。

春の野に すみれ摘みにと 来しわれぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける

この歌を作ったときの山部赤人さんは身軽な様子で旅をしているようにも感じられます。いつもの

お仕事のような大勢の人と移動するような感じはありませんね。いつものお仕事とは別に旅にでて歌を作っていた

ということは考えられます。

一緒に旅をするような人がいたばあいそんなに、ふらりと野を懐かしむ心境になってしまったから

春野で一夜を明かすということは難しそうですので。

馬などですみれの咲く野辺まできて、馬などは近くにある馬やなどに止めておいたのかもしれません。

 

奈良時代の宿場の様子

奈良時代の宿場の様子はどのようなものだったのでしょうか

奈良時代(8世紀頃)の「宿場」は、後の江戸時代の宿場町とは異なり、主に公用の交通網として整備された「駅家(うまや)」がその役割を担っていました。

奈良時代の交通制度は「宿駅伝馬制度(しゅくえきてんませいど)」と呼ばれていました。

主に朝廷の役人(駅使)や外国の使節団が、公務で地方へ移動する際の宿泊・休憩、および馬の乗り継ぎのために利用されました。

主要な街道沿いに、およそ30里(現在の約16kmごと)に設置されていました。

利用するには、天皇から与えられる交通手形である「駅鈴(えきれい)」を所持している必要がありました。駅鈴には、位階に応じて使用できる馬の数が刻まれていました。

山部赤人さんは、何頭ぐらい馬を乗り継いで移動することができたのでしょうか?

素晴らしい歌を作るということで、日本各地に旅できるだけの馬の数が刻まれていたのかもしれませんね。

奈良時代の交通システム

国司の管轄下にあり、駅長や駅戸(えきこ)と呼ばれる住民によって運営。

駅家が提供する人馬や宿泊施設は公用旅行者が優先的に使用し、余裕があれば一般の旅行者も利用することが可能でした。

駅家には常に一定数の馬(駅馬)が常備されていました。
使者は到着した駅家で馬を乗り継ぎ、次の駅家まで移動しました。これは現代のマラソンのリレーのような方式で、効率的な情報伝達と移動を可能にしていました。

公的な施設であるため、一定の格式を持った建物もあったと考えられています。発掘調査などから、駅家の建物は瓦葺きで立派なものもあったことが分かっています。

奈良時代の交通網はとてもしっかりと整備されていたのですね。

山部赤人さんも、仕事の内容によってはこういた、駅馬の利用などをしながら和歌を詠んでいたのかもしれません。

なんだか長くなってしまったので今日はこのへんで

それではまた

牛車ってどんなのりものだったのか、興味ひかれます。

牛車について詳しく知りたい場合はこちらの本などはとても面白そうです。

牛車で行こう! 平安貴族と乗り物文化[本/雑誌] / 京樂真帆子/著

 

 

山部赤人 すみれ野の歌をアラビア語で説明

 

 

 

山部赤人 すみれの野の歌を日本語で解説

 

アラビア語ハープ書店

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羽橋ライラ

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